1560年   坂戸城城下町

         樋口兼豊の嫡男として、生まれる 幼名 は「与六」
         
         幼少の頃に、仙桃院(上杉謙信の姉)の推挙により、景勝(謙信の養子)の近習となる
1568年   与六、景勝の近習となる。

1573年   野尻ヶ池を干拓する。

1578年   御館の乱勃発 
        景勝の勝利これにより上杉家の家督は、景勝に
1580年  8月15日に、与六兼続の名で景勝の代わりに御館の乱の論功行賞の知行を与える。

1581年  景勝の重臣の直江信綱が死亡
        景勝は直江信綱の娘のおせんを、兼続に嫁がせ名家の直江家を継ぎ、与板城城主となる。
        これ以降直江兼続となる
1583年  直江山城守兼続を名乗る。

1583年  景勝と共に、非公式で豊臣秀吉と面会会談

1586年  直江兼続は、景勝と共に初めて上洛、秀吉と謁見
                
1587年 新発田戦の勝利を祝って、豊臣秀吉により兼続へ朱印状を下す。

1588年 景勝・兼続上洛、秀吉のとりつぎにより、兼続従五位下の位を授けられる。
       秀吉は兼続に豊臣姓を許す。
       兼続、僧南化から、重要古文書を借り、20巻を書写する。

1589年 秀吉の命により、佐渡を平定

1590年 小田原征伐で、上野国松井田城・武蔵国鉢形城を攻略

1592年 文禄の役で、朝鮮出兵

1593年 朝鮮の重要古文書を戦争から持ち帰る。

1594年 長男景明誕生。

1598年  上杉氏会津移封のときに、米沢30万石を陪臣の身で与えられる
       秀吉死去 陪臣で、唯一太刀を一振り頂いている

1600年  秀吉死後、権勢を握ろうとする、徳川家康は上杉に上洛をせまるが、上杉はこれを拒否。
       
  5月  僧承兌の書状に対しておくられた、俗にいわれる「直江状」により家康は、上杉討伐を決意

        これにより、関が原の序章がはじまる

        家康出陣のあと、石田三成が挙兵、これにより関が原の戦いがはじまる

  9月   西軍敗退ののち、家康に和睦を願い、謝罪使を出す。
 
1601年 米沢の直江兼続の所領(30万石)に上杉景勝は減封&移封させられる

1604年 本田正信の二男政重を兼続養子とする。

1606年  二男・長女と続いて病死。

1608年  重光と兼続改名。

1614年 大阪の冬の陣に参戦 徳川秀忠より感謝状と太刀一腰ならびに小袖を拝領した

1615年 大阪夏の陣に参戦、豊臣氏滅亡。景明病死。

1619年 12月12日江戸の屋敷にて、病死、死去 60歳。
       米沢の徳昌寺に埋葬、後に林泉寺に改葬。
      幕府から、香典銀50枚を賜る。
       

直江兼続




 
伝承館(南魚沼市旧六日町)

   



出生と年表

























































































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